822.JR宗谷本線音威子府駅




JR音威子府駅は単式1面1線と島式1面2線の計2面3線の地上ホームを有する宗谷本線の駅である。
かつてはここから天北線が分岐しており、音威子府からオホーツク海側を走って稚内に至る路線である。
そもそも最初は天北線が「宗谷線」と呼ばれていて、現在の幌延を経由して稚内に至る路線はその短絡線である。
その後、宗谷線は1930年に北見線と改称され、1961年に天北線と改称された。
路線名は旧国名の“天塩国”と“北見国”からきており、路線廃止後に出来た現在の駅舎には「天北線資料室」が設置されている。
また音威子府は黒い色の蕎麦として有名な「音威子府そば」が駅待合室にあり、調理室部分だけが設置されていて、
実際に食べるのは待合室の中で、そのためにテーブルも用意されている。
蕎麦は同じ音威子府村内にある畠山製麺が担当、製造では蕎麦の実だけでなく皮も全て挽いて製造する。
店名は「常磐軒」でかつては駅ホームの待合室の一角で駅弁店を営業していた。
1912年11月15日に国有鉄道の駅として開業した。
宗谷本線は1898年8月12日に旭川から永山まで部分開業したのに始まる。
開業当時は北海道官設鉄道天塩線の名称だったが、名寄まで延伸した時点で官設鉄道に変更された。
音威子府まで延伸する直前の1912年9月21日に路線名を宗谷線に変更、
音威子府からはオホーツク海経由で敷設され、
1922年11月1日に稚内まで延伸が完了し、3日後には宗谷線は宗谷本線に改称された。
旧宗谷本線が全通した1週間後には天塩南線が音威子府から誉平(現・天塩中川)まで開通、
1924年6月25日には手塩北線が稚内から兜沼まで開通、その後延伸して1926年9月25日に手塩線が全通した。
1930年4月1日には手塩線を宗谷本線に編入、現在の路線となった。
一方でオホーツク海経由の音威子府から浜頓別を経由して稚内に至る区間は宗谷本線から分離され北見線となり、
のちに天北線と改称され、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)により第2次特定地方交通線に指定され、
国鉄分割民営化後の1989年5月1日に全線廃止された。
天北線廃止から1年後に現在の駅舎が完成した。
ちなみに“音威子府”は「おといねっぷ」と読み、音威子府村のホームページによると、
「アイヌ語で濁りたる泥川、漂木の堆積する川口、または切れ曲がる川尻の意。」とのこと。
それまでは常盤村と呼ばれていたが、1963年に音威子府村に改称した。
また、音威子府は「北海道」という言葉が生まれたところでもあり、北海道で一番小さな村だそうである。
1857年(安政4年)、幕末の探検家、松浦武四郎がこの村を訪れ、アイヌの集落の長老から、
「この国に生まれたもの」という意味の「カイナー」という言葉を教えてもらう。
「ナー」は敬語で、この地の事を現地の人は「カイ」と呼んでいる事を知り、
1869年(明治2年)に蝦夷地の新しい名称を明治政府に付けるように命じられ、
日本の「北」にある「カイ」に、旧領地を意味する「道」をつけて「北海道」と命名したとのこと。


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撮影時刻 2006/07/22 08:59:35

JR音威子府駅待合室の音威子府そば。
黒い蕎麦は全国的に有名である。


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撮影時刻 2006/07/22 09:24:44




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