949.南海電鉄岸里玉出駅



南海電鉄岸里玉出駅は相対式2面2線と島式1面2線、
単式1面1線の計4面5線の高架ホームを持つ南海本線の駅である。
所属は南海本線となっているが、高野線も接続し、更に高野線の一部でもある汐見橋線の始発駅でもある。
南海電鉄は路線図では南海本線と高野線が岸里玉出で交差しているようになっているが、
実際の運行上は難波から天下茶屋までは南海本線と高野線は変更して4線で走っており、
今宮戎、萩ノ茶屋は高野線のみがホームを設置し、南海本線は事実上の快速運転となっている。
天下茶屋から岸里玉出に至る直前で高野線は南海本線から分かれ、分岐したところにホームがある。
カーブを描いて分岐したところにある相対ホームの1番線が高野線下り、2番線が高野線上りとなる。
直進した先の島式ホームの3番線が南海本線下り、4番線が南海本線上りとなる。
高野線の汐見橋から岸里玉出は、岸里玉出と高山までとは直接線路は繋がっておらず、
南海本線と通過線一本を挟んで単式1面1線の6番線から発着する。
岸里玉出はもともと岸ノ里という駅と玉手という2つの駅に分かれていたが、距離が約400mしか離れておらず、
南海本線が高架化された時に統合された。
この地に最初に駅をつくったのは現在の高野線にあたる線路を所有していた高野鉄道で、
1900年9月3日に大小路(現・堺東)から道頓堀(現・汐見橋)まで延伸した時に同時に開業した。
開業当時は“勝間”という駅名だったが、1903年2月26日には“阿倍野”に改称された。
一方で1907年10月26日には南海鉄道が天下茶屋から住吉の間に玉出駅を開設、
さらに1913年7月25日には天下茶屋と玉出の間に岸ノ里を開設した。
1922年9月6日には高野鉄道から社名変更した大阪高野鉄道を合併、高野線も南海鉄道の所属となる。
1925年2月1日には高野線阿倍野を岸ノ里に改称、同年3月15日には南海線上りと高野線下りに連絡線を設置、
南海線と高野線が繋がり、高野線の列車が難波へ乗り入れを開始した。
戦時中の1944年6月1日に関西急行鉄道が南海鉄道を合併、近畿日本鉄道となる。
戦後の1947年3月15日に高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更の上、
同年6月1日に近畿日本鉄道から路線譲渡される形で現在の南海電気鉄道の形となる。
1985年6月16日に岸ノ里から汐見橋までの高野線が配線上で汐見橋線として分離され、
1993年4月18日の南海本線高架化に伴い、岸ノ里と玉出を統合、岸里玉出駅とした。
1994年10月28日には高野線も高架化、1995年8月10日には汐見橋線も高架化された。


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撮影時刻 2007/07/06 17:25:23



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