969.JR東北本線北上駅



JR北上駅は東北本線、東北新幹線の駅であり、また北上線の起点駅でもある。
在来線は単式ホーム1面1線と切り欠きホーム1線、島式1面2線の2面4線のホームを持つ。
単式1面1線と島式1面2線が1番線から3番線で東北本線のホームになっている。
1番線の単式ホームの一部を切り欠き、0番線として北上線のホームとしている。
在来線は地上駅になっているのに対し、新幹線ホームは単式1面1線と島式1面2線の2面3線のホームである。
1890年11月1日に日本鉄道が一ノ関から盛岡に延伸した時に開業した。
開業当時の駅名は「黒沢尻」だった。
1906年11月1日に日本鉄道が国有化された。
北上線が1921年3月25日に東横黒線として部分開業する。
北上線は当時北上駅が黒沢尻と呼ばれていたことから、横手と黒沢尻を結ぶ路線として、横黒線と呼ばれていた。
東横黒線開業の前年、1920年10月10日には横手から西横黒線が部分開業していた。
両線は順次延伸し、1924年11月15日に全通し、横黒線となった。
1954年4月1日に黒沢尻町と周辺の飯豊村、二子村、更木村、鬼柳村、相去村、福岡村が合併し、新しく「北上市」となった。
これを受けて同年11月10日、黒沢尻を北上に改称した。
横黒線は1966年10月20日に北上線と改称した。
東北新幹線が開業したのは1982年6月23日である。
1966年3月20日より田沢湖線改軌のため、北上から北上線経由で「秋田リレー号」が運行される。
これは秋田新幹線のために田沢湖線を運休して改軌工事が行われたもので、
狭軌から標準軌に改軌して新在直通列車を運行するものである。
この改軌工事はほぼ1年後の1997年3月22日に終了し、新幹線接続特急「秋田リレー」の運転は終了した。
画像は西口で、駅構内に「JR北上線沿線17駅GuideMap」という小冊子が掲示されており、
その「北上駅豆知識」には以下のように書かれている。

  北上駅は東北本線の「黒沢尻駅」として明治23年(1890)に開業。昭和29年(1954)、
 市町村合併の名称変更に伴い、現役名になりました。
  駅西には市街地が開け、隣駅「柳原駅」にかけては文学碑巡りなど文学散歩が楽しめます。
 駅東には、大河「北上川」とみちのく三大桜名所に数えられる東北を代表する桜の名所「北上展勝地」があり、
 「みちのく民族村」「サトウハチロー記念館」など見所も多数。
 駅南には、「和賀川ふれあい広場」が和賀川沿いにあり、アウトドア&スポーツが楽しめ、
 ヤナ場では天然の鮎の塩焼きも味わえます。

「北上」の地名由来について、以下のような研究がある。
日本書紀に現在の東北地方北上川流域に「日高見国」という蝦夷の国が記載されており、
98年(景行天皇27年)に武内宿禰(たけうちのすくね)が東国を巡視し、
「東に日高見国がある。蝦夷が住んでおり、土地は肥沃で広大である。征服すべきである」と報告したという。
景行天皇の息子である日本武尊が派遣され、平定されたとしている。
この「日高見国(ひたかみのくに)」が現在の「北上」の語源になったと云われている。
また祝詞の一つである「大祓詞」の中で日本の別称としては「大倭日高見国(おほやまとひたかみのくに)」があり、
天孫降臨のあった日向国から見て東にある大和国のことを「日の上の国(日の昇る国)」と呼んだとして、
それが「日高見国」になったとされている。
神武東征によって大和朝廷が大和国に移ったため、
「日高見国」が大和国よりも東の地方を指すようになり、最後には北上川流域を指すようになったと云われている。


画像 dd26160
撮影日時 2020/09/21 9:26:49

平仮名表記時代のJR北上駅西口。


画像 dd08861
撮影日時 2007/07/22 10:08:52
JR北上駅東口。
上に新幹線ホームが見える。


画像 dd26159
撮影日時 2020/09/21 9:04:55




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