997.JR奥羽本線後三年駅



JR後三年駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する奥羽本線の駅である。
駅舎に隣接する単式ホームは1番線に付番、下り方面が使用、
島式ホームは2番線、3番線に付番され上り方面が使用する。
駅舎側の単式ホームと島式ホームとは跨線橋で結ばれている。
奥羽本線は官設鉄道として青森から奥羽北線として、
福島から奥羽南線として建設が始まった。
奥羽北線は1984年12月1日に青森から弘前が部分開業、
1985年10月21日には碇ヶ関まで延伸、
1899年6月21日には白沢まで延伸、
同年11月15日には大館まで延伸、
1900年10月7日には鷹ノ巣まで延伸、
1901年11月1日には能代(現・東能代)まで延伸、
1902年8月1日には五城目(現・八郎潟)まで延伸、
同年10月21日には秋田まで延伸、
1903年10月1日には和田まで延伸、
1904年8月21日には神宮寺まで延伸、
同年12月21日には大曲まで延伸、
そして1905年6月15日には横手までの延伸が完了した。
飯詰もこの時に同時に開業している。
一方、奥羽南線は1899年5月15日に福島から米沢が部分開業、
1900年4月21日は赤湯まで延伸、
1901年2月15日には上ノ山(現・かみのやま温泉)まで延伸、
同年4月11日には山形まで延伸、
同年8月23日には楯岡(現・村山)まで延伸、
同年10月21日には大石田まで延伸、
1902年7月21日には舟形まで延伸、
1903年6月11には新庄まで延伸、
1904年10月21日には院内まで延伸、
1905年7月5日には湯沢まで延伸、
同年9月14日には横手まで延伸して奥羽本線は全通した。
後三年に駅が出来たのは1921年12月12日で、
現在の駅舎は2012年12月22日に完成した。
これは2013年の秋田デスティネーションキャンペーンに合わせて、
新駅舎に建て替えられたものである。
駅名はこの付近で起きた“後三年の役”に由来し、
駅舎前にはその解説が以下のように書かれている。

 後三年の役

 奥羽を支配した清原氏の内紛に端を発し発した争いは、
 後に源氏の介入により後三年の役へと発展しました。
 清原家衡、武衡軍と、藤原清衡、源義家軍との戦いは、
 「雁行の乱れ」や「剛臆の座」、「鎌倉源五郎影正の奮戦」など
 数々の逸話を今に残しています。
 一〇八六年、沼の柵(横手市雄物川町)で清衡、義家軍に勝利した家衡、武衡軍は、
 より堅固で難攻不落といわれた金沢柵(横手市)に本拠を移し、
 ここで最後の攻防が行われることになりました。
 金沢柵の堅い守りに清衡、義家軍は日本史上初といわれる兵糧攻めを展開、
 堅城の誉れ高い金沢柵も一〇八七問十一月十四日、ついに戦火の中に落ちました。
 家衡、武衡も討ち取られここに後三年の役は集結、
 藤原清衡は北方の王者の初代として奥州平泉文化の基礎を築くことになります。


画像 dd26191
撮影日時 2020/09/21 14:05:20

JR後三年駅旧駅舎。


画像 dd09196
撮影時刻 2007/11/16 13:29:14
ホームに見えるように立っている看板。


画像 dd26192
撮影日時 2020/09/21 14:08:58




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