31.京成電鉄京成幕張駅




京成電鉄京成幕張駅は島式1面2線の地上ホームを有する千葉線の駅である。
駅舎とホームとは構内踏切で繋がっており、1番線は上り、2番線は下りが使用する。
JR総武本線幕張駅とは約300mの距離であり、徒歩での乗り換えが可能である。
京成電鉄は社名の通り、成田山への参詣鉄道として1909年6月30日に京成電気軌道の社名で設立された。
京成本線は1912年11月3日に押上から曲金(現・京成高砂)、市川仮駅が開業、
1914年9月1日に市川新田(現・市川真間)まで延伸、1915年11月13日に中山まで延伸、
1916年12月28日に船橋まで延伸された。
ここから先は成田方面へ延伸するよりも先に市街地であった千葉方面に延伸したほうが経営が安定すると考え、
1921年7月17日には千葉まで延伸され、千葉線が全通した。
京成幕張もこの時に「幕張」の駅名で同時に開業した。
開業時は現在地よりも少し千葉方面よりで、JR幕張駅から駅前通りを幕張5丁目交差点方面に移動したあたりにあった。
踏切に挟まれた場所であり、相対式2面2線のホームは4両編成がギリギリのホーム長であった。
現在地に移転したのは1968年であり、側線も設置されているが保線用車両が停車しており夜間停泊などはない。
1931年11月18日に稲毛、千葉とともに駅名に「京成」を関し、「京成幕張」となった。
京成本線は1926年12月9日に津田沼から分岐して酒々井へ延伸して成田方面への延伸を再開、
同年同月の1926年12月24日に成田花咲町(現・廃止)まで延伸、1930年4月25日に成田まで延伸した時に廃止された。
戦時中の1945年2月20日に軌道法から地方鉄道法に基づく鉄道に変更、同年6月25日に社名を京成電鉄に変更した。
京成幕張駅の横には京葉道路武石ICと国道14号千葉街道とを結ぶ木下街道と呼ばれる道があるが、
京成千葉線と総武本線と交差するために第二木下街道踏切が存在していた。
地元では開かずの踏切として有名で、総武本線で貨物輸送が盛んな時は踏切を閉めて貨物の入れ替えなども行われており、
JR総武本線、京成千葉線ともに駅の直前直後のために通過速度が遅く、
また総武本線が複々線化して通行量が増え、また幕張車両センターから千葉方面への列車はJR幕張駅快速線の中線に停車し、
信号が変わるのを待って快速線に入ってくため、踏切の遮断時間が長かった。
そこで両線を潜る形で「幕張昆陽隧道」が2004年7月28日に完成し、第二木下街道踏切は廃止された。
この「幕張昆陽隧道」の建設のため、京成幕張駅近くにあった青木昆陽を祭った昆陽神社の社殿が取り壊され、
一時的に子守神社に移転、2006年11月に社殿を新築、秋葉神社と並んで設置された。
青木昆陽は江戸時代の儒学者、蘭学者であり、8代将軍徳川吉宗より甘藷(さつま芋)の栽培を命じられ、
小石川薬園(現・小石川植物園)や上総国山辺郡不動堂村(現・千葉県山武郡九十九里町)と並んで、
下総国千葉郡馬加村(現・千葉市花見川区幕張)で薩摩芋の試験栽培を行い、
飢饉の際の救荒作物として関東地方で多く栽培されるようになった。
幕張がさつま芋の試作地であったことからこの地に昆陽神社が設置された。

京成幕張駅は子供の頃千葉や親戚のいる菅野などへ出掛ける時によく利用した駅。
また通勤でも約10年間利用してきた駅で、JR幕張駅と並んで慣れ親しんできた駅である。


画像 de1978
撮影時刻 2001/10/20 10:45:07

新設された昆陽神社社殿。


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撮影時刻 2007/06/16 18:54:06




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