1082.JR日田彦山線田川伊田駅



JR田川伊田駅は島式2面4線の地上ホームを有する日田彦山線の駅であり、
JR九州から平成筑豊鉄道に転換された田川線、伊田線が接続する。
1番線、2番線は平成筑豊鉄道田川線及び糸田線、3番線、4番線は日田彦山線が使用する。
田川地区で産出される石炭の輸送を目的に設立された豊州鉄道によって、
1895年8月15日に現在の行橋から伊田(現・田川伊田)までの区間を敷設、この時に同時に開業した。
1896年2月5日には後藤寺(現・田川後藤寺)まで延伸された。
豊州鉄道は1987年10月20日には後藤寺から宮床(現・糸田)、及び貨物線の豊国までを敷設したが、
1901年9月3日に現在の鹿児島本線の一部を敷設した九州鉄道と合併、
1907年に鉄道国有法により国有化された。
1909年10月12日の線路名称制定により行橋から伊田、後藤寺を経由して添田までの区間が田川線となった。
田川線は小倉鉄道によって敷設された城野から河原までの添田線、
日田から彦山に向けて延伸した彦山線、田川線の延伸区間として西添田から延伸区間と彦山線を編入した日田線、
それらを再編して1960年4月1日に城野から後藤寺を経由して夜明までを日田彦山線とした。
筑豊地域で算出される石炭を輸送することを目的に1891年に設立された筑豊興業鉄道は、
現在の日豊本線の一部となる若松からの緒方までの路線の支線として、
1893年2月11日に直方から金田までの伊田線が開業した。
筑豊興業鉄道は1894年8月15日に筑豊鉄道に社名変更、
筑豊鉄道は1897年10月1日に九州鉄道と合併、
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定により直方から伊田(現・田川伊田)が伊田線となった。
しかし戦後の石炭の出荷量の減少や炭田の閉鎖により田川線、伊田線は1987年2月3日に、
国鉄第3次特定地方交通線として廃止が承認され、
それを受けて1989年4月26日に第三セクター鉄道の平成筑豊鉄道が設立、
田川線、伊田線と金田から田川後藤寺までの糸田線の3路線を引き継いだ。
社名決定日が1989年1月7日の昭和天皇が崩御、年号が「平成」に改められた日だったため、
公募で予定していた社名から急遽予定を変更して「平成筑豊鉄道」となった。
伊田から田川伊田に駅名を変更したのは1982年11月3日で、
駅所在地の福岡県田川市は1943年11月3日に後藤寺町と伊田町が合併して田川市となったのだが、
市野中心地が未だに後藤と伊田に分かれているため、
両駅を田川市の駅ということを認識して貰うために「田川」をつけいることとなった。


画像 dd11717
撮影時刻 2008/10/18 13:37:33



REI RINGONO Station
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2015