1335.JR豊肥本線立野駅



JR立野駅は島式1面2線の地上ホームを有する豊肥本線の駅である。
1番線は豊肥本線上り、2番線は豊肥本線が下りが使用、駅舎とは構内踏切で結ばれている。
また南阿蘇鉄道の単式1面1線の地上ホームが設置されているが、豊肥本線とは駅舎外で繋がれている。
立野から隣の赤水までは約8kmの距離があるが、標高差が約190 mあるため、
勾配差を克服するためにスイッチバック構造となっており、
立野から赤水方面は逆方向に進み、更に折り返し点で再び赤水方面に進む。
豊肥本線は大分から熊本を結ぶ九州を横断する路線で、148.0kmの単線路線で、
熊本から肥後大津までが交流電化され、肥後大津から大分までは非電化区間となっている。
豊肥本線は大分から玉来までは犬飼軽便線として敷設、宮地から熊本までは宮地軽便線として敷設され、
両線を繋いで豊肥本線となった地方交通線で、一部にはスイッチバックもある。
1914年4月1日に犬飼軽便線として大分から中判田間が部分開業、
1916年9月1日には竹中まで延伸、1917年7月20日には犬飼まで延伸、
1921年3月27日には三重町まで延伸した。
犬飼軽便線は1922年9月2日に犬飼線に改称、同年11月23日には緒方まで延伸、
1923年12月20日には朝地まで延伸、1924年10月15日には豊後竹田間まで延伸、
1925年11月30日には玉来まで延伸して犬飼線としては全通した。
一方、熊本側からは1914年6月21日に宮地軽便線として肥後大津まで部分開業、
1916年11月11日には立野まで延伸、この時に終着駅として開業した。
1918年1月25日には宮地まで延伸した。
宮地軽便線も1922年9月2日に宮地線に改称されている。
1928年2月12日には立野から高森までの区間も開業している。
同年12月2日には犬飼線と宮地線を結ぶ区間が開業、両線を併せて豊肥本線と改称された。
この時宮地線の支線であった立野から高森までの区間は高森線として分離されたが、
1986年4月1日に高森線は廃止され、第三セクターの南阿蘇鉄道が継承している。
立野の地名は阿蘇神社の主祭神でもある健磐龍命に由来する。
健磐龍命は「たけいわたつのみこと」と読み、初代天皇である神武天皇の子である神八井耳命の子で、
神武天皇の命を受けて阿蘇山へ来た健磐龍命は外輪山から眺めてこの地に田畑を造ろうと思い、
目の前の湖の水をなくそうとして外輪山の一部を蹴破ろうとした。
1度目は失敗したが、2度目に蹴破ることに成功した。
しかし健磐龍命は蹴破った拍子に転んでしまい、
「立てぬ」と叫んだことからこの地が「立野」になったという。


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撮影時刻 2013/09/14 16:17:41

JR立野駅に繋がるおみやげ店


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撮影時刻 2013/09/14 16:17:03
JR立野駅駅舎全景


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撮影時刻 2013/09/14 16:18:18




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