1375.JR鹿児島本線大牟田駅



JR大牟田駅は単式1面1線と島式1面2線の計2面3線の地上ホームを有する鹿児島本線の駅である。
また西日本鉄道天神大牟田線も乗り入れ終着駅となっている。
画像は東口で同一駅になっているものの東口はJR九州専用となっており、
逆に西口は西日本鉄道の専用となっている。
JRは貨物駅も兼ねており、鹿児島本線と西鉄天神大牟田線の間にはホームのない側線が何本かあり、
また鹿児島本線と西鉄天神大牟田線の線路は繋がっていない。
東口側の駅舎に改札に直結している単式ホームは1番線に付番、鹿児島本線下り、
島式ホームは2番線及び3番線に付番、3番線は鹿児島本線上りが使用している。
2番線は大牟田折り返し列車や待避線として使用される。
西鉄天神大牟田線頭端式3面3線の地上ホームとなっており、
東側から1本目の線路は4番線のみが乗降ホームとなっているが、
2本目の線路は5番線と6番線、3本目の線路は7番線と8番線の左右のホームから乗降が可能となっている。
終着駅のため全てが天神大牟田線上りが使用するが、6番線及び8番線は降車専用となっている。
鹿児島本線は九州鉄道により敷設されていった路線で、
1889年12月11日に博多から筑後川北岸の千歳川仮駅を敷設、
1890年3月1日には千歳川仮駅は廃止の上久留米まで延伸、
また同年9月28日には博多から赤間まで延伸、同年11月15日には赤間から遠賀川までが延伸した。
1891年2月28日には遠賀川から黒崎まで延伸、大牟田は同年4月1日に開業した。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定で門司から人吉までが人吉本線に制定された。
鹿児島本線は現在の肥薩線にあたる八代から人吉経由で鹿児島に至る路線として敷設されていった。
官設鉄道鹿児島線として1903年に国分(現・隼人)から吉松までが敷設され、
1909年11月21日には人吉から吉松までの区間が開通、門司から鹿児島までが山線経由で全通し、
同時に門司から八代経由で人吉までの人吉線が鹿児島本線に改称、鹿児島線も同時に編入された。
1913年から川内線として敷設された海線は1927年10月27日に鹿児島から八代までが全通、
これと同時に海線を鹿児島本線に編入の上、人吉経由の山線を肥薩線に改称した。
一方、天神大牟田線は九州鉄道と大川鉄道によって敷設された路線で、
福岡から熊本までの開業を目指していたが、用地買収などが難航し大牟田までの延伸で断念された。
1924年4月12日に福岡(現・西鉄福岡(天神))から久留米の区間が開業、
この時終着駅として開業、1932年12月28日に津福まで延伸した。
上久留米から津福、大善寺を経由して榎津までを敷設していた大川鉄道が、
1937年6月22日に九州鉄道に合併され、津福から大善寺の区間が改軌して電された。
同年10月1日には大善寺から柳河(現・西鉄柳川)までが延伸、
1938年9月1日に柳河(現・西鉄柳川)から中島(現・西鉄中島)までが開業、
同年10月1日には栄町(現・新栄町)まで延伸、1939年7月1日に大牟田まで延伸、
全通と同時に終着駅として開業した。
現在地に国有鉄道が移転してきたのは1911年である。
戦時中の1942年9月19日に陸上交通事業調整法により、
九州電気軌道は福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道等と合併、
その3日後の9月22日に九州電気軌道は西日本鉄道に改称された。
東口駅舎と西口駅舎とは中で繋がっておらず、大牟田駅連絡橋によって東西を行き来する。


画像 dd20154
撮影時刻 2014/05/23 09:09:38

大牟田駅西口。


画像 dd20153
撮影時刻 2014/05/23 09:04:37




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