1384.JR唐津線唐津駅



JJR唐津駅は島式2面4線の高架ホームを有する唐津線の駅である。
駅機能は1階部分に集約されており、画像は北口である。
所属路線は唐津線だが、筑肥線も乗り入れている。
筑肥線は歴史的背景から今は東区間と西区間に分かれていて、
唐津駅は筑肥線東区間のみが接続しているが、
唐津線を通じて筑肥線西区間からの列車も発着している。
唐津線は下りが電化路線、上りが非電化路線、筑肥線東区間は電化路線となっている。
1番線は唐津線上下線及び唐津線経由の筑肥線西区間、
2番線及び3番線は唐津線上下線及び唐津線経由の筑肥線西区間、
筑肥線東区間の電化路線は3番線及び4番線に乗り入れている。
唐津線は唐津炭田などで産出される石炭を唐津港に輸送するため、
設立された唐津興業鉄道が敷設した路線で、
1898年12月1日に山本(現・廃止)から大島までが部分開業した。
この時に中間駅として「妙見」の駅名で同時に開業した。
翌年1899年6月13日に厳木まで延伸、同年12月25日に莇原まで延伸した。
唐津興業鉄道は1900年4月に社名を唐津鉄道に変更、
唐津鉄道は1902年2月23日に九州鉄道に合併、
その後も延伸工事は続き、1903年12月14日に久保田まで延伸し全通した。
1905年10月11日に駅名を「西唐津」に変更した。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日に久保田からから西唐津までが唐津線となる。
西唐津から山本までの区間は1982年11月15日に廃止された。
筑肥線はかつて博多から伊万里までを結ぶ路線として唐津市内を通らない別ルートで開業したが、
部分電化によって一部の区間が経路変更や廃止になったため、
現在では姪浜から唐津までの42.6kmの東区間と山本から伊万里までの25.7kmの西区間に分かれる。
北九州鉄道が1923年12月5日に福吉から浜崎まで敷設したのに始まる。
翌年1924年4月1日には福吉から前原(現・筑前前原)まで延伸、
同年7月7日には浜崎から虹の松原(現・虹ノ松原)まで延伸、
1925年4月15日には前原から姪ノ浜(現・姪浜)まで延伸した。
さらに同年6月15日には姪浜から新柳町まで延伸、虹の松原から東唐津まで延伸、
同年11月20日には新柳町から南博多まで延伸、
1926年10月15日には南博多から博多まで延伸して国有鉄道に近接させた。
1929年4月1日には東唐津から山本まで延伸、
1935年3月1日には山本から伊万里まで延伸し、博多から伊万里までが全通した。
北九州鉄道は1937年10月1日に国有化され、路線は筑肥線と名称制定された。
福岡市地下鉄1号線(現・空港線)が1983年3月22日に開業、
同時に筑肥線の博多から姪浜までの区間は廃止となった。
虹ノ松原から山本までの10.4kmを廃止、唐津から虹ノ松原までの5.1kmを新規開業、
唐津から姪浜までの区間を電化して福岡市地下鉄1号線との相互乗り入れも同時に開始した。
この時点で現在のルートは完成するが、唐津から山本までの区間は唐津線と二重戸籍となっていた。
1987年4月1日の国鉄分割民営化でJR九州が誕生したのと同時に二重戸籍を改称、
唐津から山本までは唐津線となり、筑肥線は2つに分断された。
北口駅前にある唐津曳山の石像があり、その下には14番までの「曳山」が紹介されている。
唐津曳山は“唐津くんち”と呼ばれる唐津神社の秋季例大祭に町内を練り歩く曳山で、
“漆の一閑張り”という技法で製作されている。
その工程は粘土で型を作った上に和紙を約200枚貼り合わせて粘土を抜き、
和紙の上から漆を下地で7、8回、中塗り、上塗りを重ねて金箔や銀箔で仕上げる。
かつては15番曳山まであったが、紺屋町の黒獅子が消滅したために現在では14番までである。
曳き山は制作順に番号がつけられており、1番曳山は文政12年、西暦でいうと1819年である。
14番曳山でも明治9年、西暦でいうと1876年となる。
駅前の唐津曳山の石像には以下のように紹介されている。

 赤獅子 1番曳山 刀町
 青獅子 2番曳山 中町
 亀と浦島太郎 3番曳山 材木町
 九郎判官源義経の兜 4番曳山 呉服町
 鯛 5番曳山 魚屋町

 鳳凰丸 6番曳山 大石町
 飛龍 7番曳山 新町
 金獅子 8番曳山 本町
 武田信玄の兜 9番曳山 木綿町

 上杉謙信の兜 10番曳山 平野町
 酒呑童子と源頼光の兜 11番曳山 米屋町
 珠取獅子 12番曳山 京町
 鯱 13番曳山 水主町
 七宝丸 14番曳山 江川町

  唐津市民が永年待ち望んできた唐津市内鉄道路線の近代化が ここに完成した
 即ち 国鉄唐津線の高架化 国鉄筑肥線の電化 並びに福岡市営地下鉄との相互直通運転
 筑肥線と唐津線の短絡 国鉄呼子線の建設(部分開業)が実現したのである。
  顧みれば現在の唐津線は明治二十七年頃から草場猪之吉氏 大島小太郎氏
 平松定兵衛氏等によって鉄道敷設が提唱され 明治二十九年に唐津興業鉄道株式会社によって
 鉄道建設が起工され 唐津鉄道株式会社 九州鉄道株式会社によって 明治三十六年に完成した
 現在の筑肥線は 大正八年 草場猪之吉氏 岸川善太郎氏等の発起により
 北九州軽便鉄道株式会社が設立され大正十年に北九州鉄道株式会社の手によって鉄道建設着起工された
 大正十四年に東唐津 博多間が開通し 昭和四年に東唐津 山本間が開通
 昭和十年に山本 伊万里間が開通し 着工以来十三年余にして全線が開通した
 そして 唐津線は明治四十年に 筑肥線は昭和十二年に それぞれ日本国有鉄道が経営するところとなった
  諸先輩の英知とたゆまざる努力によって建設されたこの鉄道は
 今日の唐津市発展の大きな原動力となって来たところである。
 このような諸先輩の偉大な功績を礎として
 今日の唐津市内鉄道路線の近代化を推進することが出来たのであり
 総力を結集した成果がここに結実し 万感胸に迫るものがある
  今ここに 郷土を愛し 鉄道建設に心血を注がれた草場猪之吉氏をはじめ
 多くの先輩に 感謝の誠を捧げるものである
     昭和五十八年三月二十二日
                         唐津市長 瀬戸 尚


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撮影時刻 2014/05/24 08:16:24

唐津駅南口。


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撮影時刻 2014/05/24 08:11:10
駅前にある唐津曳山の像。


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撮影時刻 2014/05/24 08:14:57
筑肥線新線開業記念の碑。


画像 dd20240
撮影時刻 2014/05/24 08:17:15




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