1437.JR日豊本線都城駅



JR都城駅は単式1面1線と島式2面4線の計3面5線の地上ホームを有する日豊本線の駅である。
単式ホームと島式ホームの間にホームに接していない通過線があったが、現在は撤去されている。
日豊本線のほか、吉都線の終着駅でもある。
1番線から3番線は日豊本線が使用、上下線の区別はされていない。
4番線、5番線は吉都線がの折り返し列車が使用する。
現在の日豊本線は小倉から重岡までの区間は豊州鉄道とそれを合併した九州鉄道によって敷設、
九州鉄道国有化後に宮崎線として延伸開業していき、佐土原から宮崎までは宮崎県営鉄道が敷設した区間を編入した。
国分(現・隼人)から鹿児島までは官設鉄道鹿児島線として敷設、全通後に日豊本線となった。
1895年4月1日に九州鉄道が小倉から行事までの区間を敷設した。
田川地区で産出される石炭の輸送を目的に設立された豊州鉄道によって、
1895年8月15日に行橋から伊田(現・田川伊田)までの区間を敷設、この時に同時に開業した。
同年8月25日に行事駅を廃止して豊洲鉄道行橋駅に終点を変更した。
1897年9月25日には行橋から長洲(現・柳ヶ浦)まで延伸開業した。
小倉から鹿児島までの区間が全通したのに伴い、1932年12月6日にこの区間が日豊本線となった。
南宮崎に最初に駅を作ったのは宮崎軽便鉄道で、1913年10月31日に赤江から内海までの区間が開業、
1915年3月20日に宮崎線が開業したのに伴い連絡駅となる。
この時同時に赤江は大淀に駅名改称、青井岳は1916年3月21日に開業した。
宮崎線は現在の吉都線を延伸する形で1914年2月11日に都城から三股まで延伸、
同年8月15日に山之口まで延伸、1915年3月20日に宮崎まで延伸された。
宮崎軽便鉄道は1920年に社名を宮崎鉄道に変更、戦時政策によって宮崎鉄道は宮崎交通になる。
1962年1月に起きた土砂崩れのため一部区間が休止、同年7月1日に路線廃止、
のちに廃線跡が日南線に転用されることになった。
戦時中の1942年4月1日に大淀は南宮崎に改称された。
吉都線は宮崎線として1912年10月1日に吉松から小林町(現・小林)までが敷設、
1913年5月11日に谷頭、同年10月8日でにし都城まで延伸され、この時終着駅として開業した。
1916年10月25日には宮崎まで延伸して全通した。
全通翌年には路線名が宮崎本線に改称、1923年12月15日には日豊本線に変更された。
1932年12月6日に都城から吉松までが吉都線に分離された。


画像 dd20793
撮影時刻 2014/12/12 11:43:10



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