1796.近畿日本鉄道近鉄八田駅



近畿日本鉄道近鉄八田駅は島式2面4線の高架ホームを有する名古屋線の駅である。
1番線は下り待避線、2番線は下り主本線、
3番線は上り主本線、4番線は上り待避線となっている。
4番線の下り方面には留置線が設置されていて、
主本線の下り方面には3番線から2番線への渡り線が設置されている。
隣にはJR関西本線八田駅があり、また地下には名古屋市営地下鉄八田駅もある。
中2階にコンコースが設置されていて、改札などの駅機能を有している。
近鉄名古屋線は近鉄名古屋から伊勢中川の78.8kmの路線である。
全区間複線の直流電化区間で、標準軌1,435mmで敷設されている。
この路線を最初に敷設したのは伊勢鉄道で、
1915年9月10日に白子から身田町(現・高田本山)の区間を敷設した。
この時は狭軌で敷設されている。
1616年1月9日には白子から千代崎まで延伸、
1917年1月1日には身田町から江戸橋、部田(現・廃止)まで延伸、
同年12月22日には千代崎から楠まで延伸、
1919年10月25日には楠から海山道まで延伸、
1922年3月1日には海山道から新四日市(現・近鉄四日市)まで延伸した。
伊勢鉄道は1926年9月12日に伊勢電気鉄道に社名変更した。
1929年1月30日には四日市から桑名まで延伸した。
伊勢に路線を敷設していた参宮急行電鉄は、
1930年5月18日に伊勢中川から久居まで延伸した。
1931年7月4日には久居から津新町まで延伸、
1932年4月3日には津新町から津まで延伸した。
伊勢電気鉄道は1936年9月15日に参宮急行鉄道に合併した。
1938年6月26日には関西急行電鉄が関急名古屋(現・近鉄名古屋)から桑名の区間が開業、
関西急行電鉄は1940年1月1日に参宮急行電鉄に合併、
1941年3月15日に大阪電気軌道、通称“大軌”が参宮急行電鉄を合併、
社名を関西急行鉄道に変更した。
関西急行鉄道は戦時中の1944年6月1日に陸上交通事業調整法により、
南海鉄道と合併して近畿日本鉄道と社名を変更する。
南海鉄道は現在の南海電鉄南海線を敷設した会社である。
戦後、1947年6月1日にに旧南海鉄道の路線を南海電気鉄道に譲渡する。
南海電気鉄道は現在の南海高野線の一部などを経営していた、
高野山電気鉄道を同年3月15日に改称したもので、
実質的に旧南海鉄道の受け皿として社名変更した。
近鉄八田駅は関西急行電鉄が関急名古屋(現・近鉄名古屋)から桑名の区間が開業した、
1938年6月26日に関急八田として開業する。
1940年1月1日には参宮急行電鉄との合併により参宮八田となる。
1941年3月15日には大阪電気軌道との合併により再び関急八田となり、
1944年6月1日にの関西急行鉄道と南海鉄道の合併で近畿日本鉄道となったため、
駅名が近畿日本八田となった。
1970年3月1日に現在の駅名の近鉄八田に変更された。
開業時は地上駅だったが、2002年8月31日に下り線のみ約200m名古屋方に移動、高架化された。
2005年5月21日に上り線も現在地に移転し高架化された。


画像 dd25388
撮影日時 2020/02/15 15:45:53



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