1891.JR飯田線元善光寺駅



JR元善光寺駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する飯田線の駅である。
駅舎に隣接する単式ホームは1番線に付番され、下り辰野方面が使用、
島式ホームは2番線、3番線に付番され、2番線は上り天竜峡方面が使用する。
3番線は現在使用されておらず、フェンスが設置されていて、
実質的には相対式2面2線構造と云える。
単式ホームと島式ホームとは構内踏切で結ばれている。
飯田線は東海道本線豊橋と中央本線辰野間を結ぶ地方交通線である。
全区間がJR東海に所属し、豊橋から豊川の区間は複線だが、その先は単線となっている。
豊橋から小坂井駅手前の信号場まではJR東海が下り線、名鉄が上り線を所有しており、
両社が共用することで複線として使用している。
飯田線はには豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道の、
4つの鉄道会社が開業させた区間を国有化して一つの路線としたものである。
豊橋から大海の区間は豊川鉄道が開業させた。
1987年7月15日に豊橋から豊川までが開業され、
1900年9月23日に大海までの延伸した。
1925年には電化され、1926年4月1日より、
愛知電気鉄道が小坂井から豊川まで乗り入れを開始した。
大海から三河川合までは1923年2月1日に鳳来寺鉄道が開業させた。
この区間も1925年7月に電化された。
三河川合から天竜峡の区間は1927年に設立された三信鉄道によって開業された。
地層のもろさや天竜川渓谷沿いという建設地であるために工事は困難を極め、
朝鮮半島からの労働者の過酷な労働条件や賃金未払いなど、
多くの問題をはらんだ中での工事だった。
この難工事に成功したことで、飛鳥組の熊谷三太郎は熊谷組を造る基盤を得た。
三信鉄道は最初から電化開業させていた。
1932年10月30日に天竜峡から門島までが開業、
1933年12月21日には三河川合から三輪村が開業した。
その後延伸をくり返し、1937年8月20日には、
最後まで残った小和田から大嵐までの区間が開業して全通した。
天竜峡から辰野の区間は伊那電気鉄道が開業させた。
設立当初は伊那電車軌道と名乗っていた。
1909年12月28日に辰野から松島ま区間が軌道法によって開業した。
この辰野は西町に変更され、後に廃駅となった伊那電車軌道の辰野駅である。
この区間は一部に供用区間も存在した。
この先は地方鉄道法による鉄道線として延伸開業していった。
1911年2月22日に松島から木下の区間が開業、
同年11月3日に御園まで延伸、
1912年1月4日に伊那北まで延伸、同年5月11日に伊那町まで延伸、
1913年12月27日には宮田まで延伸、
1914年10月31日には赤穂まで延伸、同年12月26日に伊那福岡まで延伸、
1915年7月24日に伊那福岡終点仮停留場(現・廃止)まで延伸、
1918年2月11日に飯島まで延伸、同年7月23日には七久保まで延伸、
同年12月12日に高遠原まで延伸、1919年には社名を伊那電気鉄道に変更し、
1920年11月22日に上片桐まで延伸、
1922年7月13日に伊那大島まで延伸、
1923年1月15日に山吹まで延伸、同年3月13日に市田まで延伸、
同年3月16日には辰野から伊那松島の経路変更し、
同年3月18日には元善光寺まで延伸、終着駅として開業した。
同年8月3日には飯田まで延伸して途中駅となり、
その後も延伸され、1926年12月27日には伊那八幡まで延伸、
1927年2月5日には毛賀終点仮停留場(現・廃止)までが延伸、
同年4月8日には駄科まで延伸、同年12月26日には天竜峡まで延伸、
辰野から天竜川の区間が全通した。
この4つの鉄道が国有化され、
路線名が飯田線に変更されたのは1943年8月1日である。
1955年4月には佐久間ダム建設のため、
佐久間から大嵐の区間がルート変更された。
駅名は駅より西へ500mに位置する元善光寺に由来する。
元善光寺はその名の通り、現在の善光寺が以前あった場所で、
以前は坐光寺と呼ばれていた。
坐光寺は602年にこの地に住んでいた本田善光が、
難波の堀江(現・大阪市)で一光三尊阿弥陀如来を見つけ、
自宅に持ち帰って臼の上に安置したところ、
その臼が燦然と光を放ったことから坐光寺と呼ばれるようになった。
642年、皇極天皇の勅命により、
現在の長野市に遷座され、ここが善光寺となった。
そのため、坐光寺は元善光寺と呼ばれるようになったという。


画像 dd27387
撮影日時 2022/08/07 14:19:08



REI RINGONO Station
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2023