193.京成電鉄日暮里駅




京成電鉄京成日暮里駅は地上に1面1線、高架に2面1線の計3面2線のホームを有する京成本線の駅である。
地上の単式1面1線は0番線に付番し京成本線上り、1番線は下り特急「スカイライナー」及び「シティーライナー」、「イブニングライナー」専用、
2番線は京成本線下りが使用し、橋上駅舎化されていてコンコースは2階、高架ホームは3階部分に位置する。
日暮里駅はJR常磐線、山手線、京浜東北線とホームが並んでおり、JRは京成からの連番で3番線から12番線が付番されている。
JRと京成の間には構内改札があり、直接乗り換えることが出来る。
以前は地上に島式1面2線のホームに上下線が使用していたが、
2010年7月17日に特急「スカイライナー」が成田スカイアクセス経由に変更されたのに合わせ、
下り線を高架に切り替え、相対ホームを設置してライナー利用客とと一般列車利用客のホームを分けた。
成田エクスプレスは大宮から山手貨物線を品川周りで東京駅に到達し、横浜方面と連結して成田空港に向かうため、
埼玉方面から成田空港に向かうにはここで京成スカイライナーに乗り換えた方が便利で、
開業当時は通過駅だったが今では全ての編成が日暮里停車となっている。
京成電鉄は東京と成田山新勝寺を結ぶ参詣鉄道として1909年6月30日に京成電気軌道の社名で設立された。
開業当時の起点は押上で1912年11月3日に押上から曲金(現・京成高砂)が開業、
その後成田方面に延伸していき、1916年12月28日に船橋まで延伸されたところで、
ここから先に千葉方面に路線が建設されることとなり、1921年7月17日には千葉まで延伸され、千葉線が全通した。
成田方面は1926年12月9日に津田沼から分岐して延伸工事が進められ、
1930年4月25日に成田まで延伸された。
押上から浅草への乗り入れを画策していた京成電気軌道だが東武鉄道と競合し、
免許出願の際に政界に賄賂を渡していたことが発覚、当時の社長や専務が逮捕されることとなった。
京成電車疑獄事件によって浅草延伸は断念、
すでに日暮里から筑波に免許を有していた筑波高速度電気鉄道を合併し、
1931年12月19日に青戸から日暮里までが延伸、1933年12月10日に上野公園(現・京成上野)まで延伸された。
戦時中の1945年2月20日に軌道法から地方鉄道法に基づく鉄道に変更、
それに合わせて同年6月25日に社名を京成電鉄に変更した。


画像 de3929
撮影時刻 2002/04/29 15:18:46

京成日暮里駅高架ホームの外観。


画像 dd14507
撮影時刻 2009/10/11 09:25:46
日暮里駅もみじばし。
JR日暮里駅南口へ繋がる階段。
JRと集客合戦を繰り広げる京成は、
橋を渡らずに京成改札へ行くように、
階段に貼り紙をしている。


画像 de3931
撮影時刻 2002/04/29 15:19:14




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