2004.東急電鉄元住吉駅

東急元住吉駅は、島式2面4線の高架ホームを有する、
東横線及び目黒線の駅である。
2系統とも別路線として重複している区間に位置している。
方面別ホームを採用しており、
2番線は東横線下り、3番線は目黒線下り、
4番線は目黒線上り、5番線は東横線上りが使用する。
上下線の外側にホームのない通過線があり、
正確には2面6線構造となっている。
そのため、1番線と6番線はホームはないが付番されている。
東急新横浜線や相鉄線から直通する列車は目黒線のみ発着し、
東横線は元住吉は通過する。
画像は西口でホームは2階、改札は3階に設置されている。
東急電鉄は渋沢栄一らによって1918年9月2日に設立された、
宅地開発の田園都市株式会社の鉄道部門が、
1922年7月22日に独立して目黒蒲田電鉄を祖とする。
東横線は1910年6月22日に設立された武蔵電気鉄道が免許を取得、
武蔵電気鉄道は1924年10月25日に目黒蒲田電鉄の傘下に入り、
この時に社名を東京横浜電鉄に改称した。
東京横浜電鉄によって1926年2月14日に神奈川線の路線名で、
丸子多摩川(現・多摩川)から神奈川(現・廃止)の区間が開業した。
元住吉もこの時に開業した。
1927年8月28日には丸子多摩川から渋谷の区間が延伸、
この時に路線名を東横線に変更した。
1928年5月18日には神奈川から高島町(現・廃止)の区間が延伸、
1932年3月31日に高島町から桜木町(現・廃止)の区間が延伸開業し全通した。
東京横浜電鉄は目黒蒲田電鉄に合併し、
目黒蒲田電鉄が社名を東京横浜電鉄に変更した。
陸上交通事業調整法により、1942年5月1日に、
京浜電気鉄道、小田急電鉄を合併し、社名を東京急行電鉄株式会社に変更した。
1944年5月31日には京王電気鉄道を合併したが、
戦後、1948年6月1日に会社再編成し京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王帝都電鉄を設立、
残留した支社から東京急行電鉄を形成した。
2019年4月25日に東急電鉄分割準備株式会社を設立し、
同年9月2日に東京急行電鉄株式会社が「東急株式会社」、
東急電鉄分割準備株式会社が「東急電鉄株式会社」に商号変更の上、
同年10月1日に東急株式会社の鉄軌道事業を、
東急電鉄株式会社に移管して会社分割した。
2004年1月30日で横浜から桜木町の区間が営業終了、
翌日、同年1月31日に東白楽から横浜の区間を高架線から地下線に切り換え、
同年2月1日に横浜高速鉄道みなとみらい線と相互直通運転を開始した。
駅所在地は神奈川県川崎市中原区木月一丁目だが、
かつてこの辺りは橘樹郡住吉村であった。
駅開業直前の1925年に住吉村は中原町に合併されたため、
地元の要請もあり、駅名に“住吉”を残すこととして、「元住吉」となった。
画像 dd29643
撮影日時 2024/05/26 9:13:16
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東急元住吉駅東口。 画像 dd29642 撮影日時 2024/05/26 9:10:57 |
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