2005.東急電鉄奥沢駅



東急奥沢駅は、相対式2面2線の地上ホームを有する目黒線の駅である。
画像は南口で、北口とは駅舎が独立し、連絡通路が設置されている。
南口駅舎には1番線ホームが隣接して下り日吉方面が使用、
北口駅舎には3番線ホームが隣接して登り目黒方面が使用する。
1番線と3番線の間に上り方面の通過線がある。
東急電鉄は渋沢栄一らによって1918年9月2日に設立された、
宅地開発の田園都市株式会社の鉄道部門が、
1922年7月22日に独立して目黒蒲田電鉄を祖とする。
東横線は1910年6月22日に設立された武蔵電気鉄道が免許を取得、
武蔵電気鉄道は1924年10月25日に目黒蒲田電鉄の傘下に入り、
この時に社名を東京横浜電鉄に改称した。
東京横浜電鉄によって1926年2月14日に神奈川線の路線名で、
丸子多摩川(現・多摩川)から神奈川(現・廃止)の区間が開業した。
1927年8月28日には丸子多摩川から渋谷の区間が延伸、
この時に路線名を東横線に変更した。
1928年5月18日には神奈川から高島町(現・廃止)の区間が延伸、
1932年3月31日に高島町から桜木町(現・廃止)の区間が延伸開業し全通した。
東京横浜電鉄は目黒蒲田電鉄に合併し、
目黒蒲田電鉄が社名を東京横浜電鉄に変更した。
陸上交通事業調整法により、1942年5月1日に、
京浜電気鉄道、小田急電鉄を合併し、社名を東京急行電鉄株式会社に変更した。
1944年5月31日には京王電気鉄道を合併したが、
戦後、1948年6月1日に会社再編成し京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王帝都電鉄を設立、
残留した支社から東京急行電鉄を形成した。
2019年4月25日に東急電鉄分割準備株式会社を設立し、
同年9月2日に東京急行電鉄株式会社が「東急株式会社」、
東急電鉄分割準備株式会社が「東急電鉄株式会社」に商号変更の上、
同年10月1日に東急株式会社の鉄軌道事業を、
東急電鉄株式会社に移管して会社分割した。
2004年1月30日で横浜から桜木町の区間が営業終了、
翌日、同年1月31日に東白楽から横浜の区間を高架線から地下線に切り換え、
同年2月1日に横浜高速鉄道みなとみらい線と相互直通運転を開始した。
奥沢に駅が出来たのは1923年3月11日に、
目黒から丸子(現・沼部)の区間が開通したのと同時に開業した。
かつてはたんしき1面1線と島式1面2線の計2面3線構造で、
単式ホームが現在の南口に隣接する1番線下りに相当する。
上りは主に島式ホームの2番線を使用し、
3番線は日吉方面が行き止まりになっていて、
奥沢の始発終着の列車のみが使用していた。
2022年2月26日に北口新駅舎と跨線橋が使用開始された。
2番線に相当する通過線が開始されたのは同年3月12日からである。
開業当時の駅所在地は荏原郡玉川村大字奥沢で、
「奥沢」とは「呑川の下流地方から見て奥深い沢地」の意である。
この付近を流れる呑川の支流の九品仏川(古くは丑川)流域を区別して、
「奥深い沢」の意でこの地名になったという。


画像 dd29647
撮影日時 2024/05/26 9:39:14

東急奥沢駅北口。


画像 dd29646
撮影日時 2024/05/26 9:37:20




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