2187.小田急電鉄向ヶ丘遊園駅
小田急電鉄向ヶ丘遊園駅は島式2面4線の地上ホームを有する、
小田原線の駅で、画像は南口である。
1番線、及び2番線は下り小田原方面が使用、
2番線は上り緩行線新宿方面が使用する。
3番線は上り急行線、4番線は上り緩行線が使用する。
南口駅舎と北口駅舎は独立しており、
各駅舎とホームとは跨線橋で結ばれている。
小田急電鉄は戦前の1910年10月1日に、
利光鶴松氏によって創設された、
鬼怒川水力電気の系列会社として、
1923年5月1日に小田原急行鉄道の名で設立された。
利光鶴松氏は東京市内の地下鉄網の東京高速鉄道や、
山手線を外周する東京山手急行電鉄、
城西地区の開発を目的とした渋谷急行電鉄などを次々と企画した。
この中で東京高速鉄道に公布された免許を郊外に延伸する形で、
小田原までの路線を敷設する目的で設立された。
1927年4月1日に小田原線が一部単線で全線開業、
同年10月15日に全線複線で開業した。
1929年4月1日に江ノ島線が全線開業した。
1940年5月1日に帝都電鉄を合併し、
路線を帝都線(現・京王井の頭線)とした。
帝都電鉄は利光鶴松氏によって計画された東京山手急行電鉄が、
山手線の外周に第二山手線を敷設する予定が昭和恐慌によって計画が頓挫され、
その代替として渋谷から吉祥寺間の免許を取得していた城西電気鉄道、
のちに渋谷急行電鉄と改称されたこの会社と合併し、
社名を東京郊外鉄道に改称してこの路線の敷設を優先した。
東京郊外鉄道は社名を帝都電鉄と改称し、
1933年8月1日に渋谷から井の頭公園までが部分開業、
翌年、1934年4月1日に井の頭公園から吉祥寺まで延伸して全通していた。
小田原急行鉄道は1941年3月1日に、
親会社の鬼怒川水力電気に合併して解散し、
鬼怒川水力電気が社名を小田急電鉄に改称して事業を引き継いだ。
電力統制により、電力事業を日本発送電に譲渡し、電力事業から撤退した。
1942年5月1日に陸上交通事業調整法の趣旨に則り、
東京横浜電鉄に京浜電気鉄道とともに吸収合併され、
東京横浜電鉄は東京急行電鉄に改称された。
小田急電鉄は解散、旧・帝都電鉄線の帝都線を井の頭線と改称した。
1944年5月31日には京王電気軌道も東急に合併した。
戦後、1948年6月1日に東京急行から京浜急行とともに分離し、
小田急電鉄として再度設立された。
この時に箱根登山鉄道などを関係会社として加えることを渇望、
その代替として井の頭線が京王の所属となり、
井の頭線の旧路線名を加えて社名を京王帝都電鉄とした。
京王帝都電鉄は設立50周年となる1988年7月1日に、
社名を京王電鉄に改称している。
1950年8月1日には箱根登山鉄道への乗り入れを開始、
箱根登山鉄道は2024年4月1日に小田急箱根グループの再編により、
同路線の運行を小田急箱根に改称され、
社名としての箱根登山鉄道は消滅した。
しかし路線名の箱根登山電車は継続して使用される。
向ヶ丘遊園に駅が出来たのは小田原線が一部単線で全線開業した、
1927年4月1日と同時である。
開業時の駅名は「稲田登戸」だった。
1955年4月1日に向ヶ丘遊園の最寄り駅であることをアピールするために、
駅名を「向ヶ丘遊園」に変更された。
ただ、遊園地としての向ヶ丘遊園は、
1927年4月1日と同時で、小田原線と同時の開業だった。
同年6月14日には稲田登戸(現・向ヶ丘遊園)から豆汽車が運行された。
戦時中は一時陸軍に接収されたこともあったが、
戦後には復活し、この豆汽車は道路拡張のために1965年秋に撤去された。
その代替移動手段として、1966年4月23日に、
向ヶ丘遊園モノレールが運行を開始した。
しかしこのモノレールも老朽化で2000年2月23日に運転休止、
翌年、2001年2月1日に正式に廃止された。
遊園地としての向ヶ丘遊園も2002年3月31日に営業を終了した。
しかし駅名としての「向ヶ丘遊園」はそのまま残された。
画像 dd31489
撮影日時 2025/06/22 13:05:54
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小田急向ヶ丘遊園駅北口。 画像 dd31491 撮影日時 2025/06/22 13:15:05 |
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