329.JR中央本線国立駅

JJR国立駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の高架ホームを有する中央線の駅である。
単式ホームは1番線に付番され、下り高尾方面が使用、
島式ホームは2番線と3番線に付番され、上り東京方面が使用する。
中央本線は甲斐(現・甲府)と武蔵(現・東京)を結ぶ鉄道として、
明治の鉄道黎明期に誕生した甲武鉄道が、
1889年4月11日に新宿から立川までの区間を開業させた。
同年8月11日には立川から八王子まで延伸、
1894年10月19日には新宿から牛込(現・廃止)まで延伸、
1985年4月3日には飯田町(現・廃止)まで延伸した。
1904年12月31日に飯田町から御茶ノ水まで延伸された。
1906年3月31日公布の鉄道国有法により、甲武鉄道は国有化された。
1908年4月19日には御茶ノ水から更に昌平橋(現・廃止)まで延伸し、
1909年10月12日に国有鉄道線路名称設定で中央東線となった。
1912年4月1日には万世橋が開業して昌平橋は廃止された。
中央停車場として建設された東京駅が1914年12月20日に開業し、
1919年1月25日に中央本線も東京駅に乗り入れとなった。
1925年11月1日には東北本線が秋葉原から延伸された。
戦後の1956年9月17日にはホームが増設され、
山手線と京浜東北線の乗り場が分離された。
甲武鉄道が1889年4月11日に、
新宿から立川までの区間を開業させた時にはここに駅はなかった。
1926年3月1日に保谷信号所が設置され、
同年4月に駅に昇格した。
この辺は大正時代末期に箱根土地株式会社によって開発されたエリアで、
箱根土地株式会社は後のコクドとなる会社であり、
この会社の頭目は西武グループの創始者の堤康次郎氏である。
未開発の土地だったためにこのエリアには駅がなく、
東京商科大学(現・一橋大学)や住民の誘致のために、
箱根土地が駅を設置して鉄道省に譲渡した。
駅名は国分寺と立川の中間の駅ということで“国立”と名付けられた。
この地名には「この地から新しい国が立つ」という意味合いも含められていて、
1951年に村から町へ移行する時、町名を決める際に、
谷保村議会で投票の結果“国立町”が誕生した。
1967年には市へ移行し、そのまま“国立”の名が残り、国立市が発足した。
以前の南口駅舎は開業時に立てられたもので、
三角屋根の美しいデザインは関東の駅百選に選ばれている。
南口駅前はロータリーから放射線状に道が延び、
南下する道は大学通りと呼ばれ、350mほど行くと、
道をはさんで一橋大学のキャンバスがある。
2003年より高架化工事が開始され、
2009年1月11日に下り線が高架化され、
2010年11月7日に上りホームも高架化された。
この時は相対式2面2線構造だったが、
2012年12月16日に上り3番線が新設された。
三角屋根の駅舎は2006年10月8日に使用が終了したが、
2020年4月6日に復元され、“まちの魅力発信拠点”となった。
画像 de7986
撮影時刻 2003/06/07 17:17:08
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リニューアル後のJR国立駅北口。 画像 dd27053 撮影日時 2022/04/10 15:19:29 |
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JR国立駅旧南口駅舎。 画像 de7986 撮影時刻 2003/06/07 17:17:08 |
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JR国立駅旧北口駅舎。 画像 de7985 撮影時刻 2003/06/07 17:13:14 |
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