351.JR鹿児島本線博多駅


JR博多駅は島式4面8線の地上ホームを有する鹿児島本線の駅であり、
また吉岡から分岐する福北ゆたか線も運行上博多から発着しているほか、
山陽新幹線、九州新幹線も島式3面6線の高架ホームを有している。
在来線はかつて5面9線構造だったが、新幹線ホーム増設に伴って4面8線の変更された。
1番線から4番線は鹿児島本線上り、3番線から7番線は鹿児島本線下りが使用、
上り主本線は2番線、下り主本線は7番線となっており、
3番線4番線は長崎本線、佐世保線に直通する特急、5番線6番線は久大本線に直通する特急が使用、
8番線は福北ゆたか線専用のホームとなっており、竹下方は行き止まりになっている。
2階部分がコンコースとなっており、新幹線ホームは3階部分に設置されていて、
11番線は鹿児島発着の九州新幹線と博多南線、12番線、13番線は山陽新幹線、
15番線、16番線は九州新幹線と博多南線が使用する。
14番線については山陽新幹線、九州新幹線、博多南線全てが使用する。
11番線は小倉方に車止めがある関係で8両編成までしか利用できず、九州新幹線と博多南線のみが使用する。
また1985年3月3日には福岡市営地下鉄空港線が本格開業した。
福岡市営地下鉄は姪浜から福岡空港までを結ぶ1号線空港線と、中洲川端から分岐して貝塚までを結ぶ2号線箱崎線がある。
1号線空港線は姪浜から筑肥線と相互乗り入れし、2号線箱崎線は貝塚から西鉄宮地岳線と相互乗り入れする。
また天神では西鉄天神大牟田線の西鉄福岡駅と連絡している。
博多は九州に初めて鉄道を敷設した九州鉄道1889年12月11日に千歳川仮停車場まで敷設した時に同時に開業した。
当時の駅は現在地から北西約650mの出来町公園付近に設置されていた。
1890年9月28日に赤間まで延伸したのと同時に現在の地下鉄祇園駅付近に移転した。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、官設鉄道となった。
戦時中の1943年4月に都市計画に基づいて駅の移転が決定されたが、
太平洋戦争の激化から同年11月には中止され、1945年6月19日の博多大空襲により被災した。
戦後の1958年12月に再び移転が決定、1960年7月に工事に着工、1963年12月に完成した。
この時博多口に完成した駅ビルは「博多ステーションビル」と名付けられ、2009年まで使われるが、
九州新幹線全線開通に合わせて2011年3月に新しい駅ビル「JR博多シティ」が完成した。
1975年3月10日には岡山から博多まで山陽新幹線が延伸して全通した。
2011年3月12日には九州新幹線が新八代から博多まで延伸し、九州新幹線鹿児島ルートが全通した。
そのため東京から鹿児島中央までが1本のレールで繋がったことになる。
但し、一気に直通する1設定はなく、東海道新幹線と山陽新幹線の直通、山陽新幹線と九州新幹線の直通という設定になる。
山陽新幹線が延伸開業した時に設置された車両基地である博多総合車両所への回送線を利用して、
1990年4月1日に博多南線が開業、博多総合車両所の一部にホームと改札を設置して博多南駅とした。
これは駅の近隣住民のためのサービスとして新幹線回送車両を使用した在来線扱いの盲腸線である。
新幹線車両を使用するために特急利用扱いになり、通常の運賃のほかに特急料金100円が必要になる。
博多駅の地名はこの地域の旧来の地名に由来、六国史にも記載があるようである。
一方、この付近を指すもう一つの地名である「福岡」は江戸時代にこの地を治めた黒田氏が築いた城下町に由来する。
もともとは那珂川を挟んで港側は博多として古くから栄え、反対側に福岡城が築かれ城下町が発展した。
しかし明治時代の1889年4月1日の市制及び町制以降により博多と福岡をまとめて福岡市としたため、
それ以降の地名としては福岡が使用され、空港などは福岡を名乗るようになった。
画像はJR博多駅博多口の旧駅ビルである「博多ステーションビル」である。


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撮影時刻 2003/07/05 16:25:30

JR博多駅筑紫口。


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撮影時刻 2003/07/06 08:06:39
現在の駅舎であるJR博多シティ。


画像 dd17693
撮影時刻 2011/08/28 11:30:29




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