591.JR日豊本線大分駅



JR大分駅は島式4面8線の高架ホームを有する日豊本線の駅である。
府内中央口(北口)側から1番線に付番されていて、
日豊本線上下線のほか、豊肥本線、久大本線も接続している。
日豊本線は電化路線だか豊肥本線、久大本線は非電化路線であり、
1番線から6番線は電化対応になっており、7番線、8番線は非電化である。
方面別には完全に分かれておらず、普通列車は1番線は日豊本線上下線、
2番線は日豊本線下り、3番線は日豊本線上り、4番線が下り、
5番線は日豊本線上りと豊肥本線、6番線は豊肥本線、
7番線は豊肥本線と久大本線、8番線は久大本線が使用する。
但し特急はこれの限りではなく、柔軟に運用されているようである。
地上ホーム時代は単式1面1線と島式3面6線の計4面7線だった。
現在の日豊本線のうち、小倉から行橋までは九州鉄道、
行橋から長洲(現・柳ヶ浦)までは豊洲鉄道が敷設、
豊洲鉄道は1901年9月30日に九州鉄道に合併した。
1907年7月1日に鉄道国有法によって九州鉄道は国有化され、
1909年10月12日にの線路名称制定により豊州本線となった。
国有化後も延伸工事が続けられ、1922年3月26日に重岡まで延伸している。
宮崎駅から佐土原までは宮崎県営鉄道が敷設、
1917年9月21日に国有化され、宮崎本線として重岡以南を敷設していった。
1923年12月15日に宮崎本線は重岡まで延伸し、
豊洲本線と宮崎本線を統合、小倉から吉松までの区間が日豊本線となる。
鹿児島本線新線が敷設され、旧線は肥薩線として切り離される。
また都城から西都城は志布志線の一部として、
西都城から霧島神宮までは国都東線、霧島神宮から西国分までは国都西線として敷設、
1932年12月6日に小倉から鹿児島までの区間が日豊本線となり、
隼人から吉松までは肥薩線として分離された。
別府は九州鉄道が国有化された後、1909年12月21日に宇佐まで延伸、
1910年12月15日に中山香まで、1911年3月22日に日出まで延伸、
1911年7月16日に別府まで延伸され、
同年11月1日に大分まで延伸した時に同時に開業した。
1914年4月1日に犬飼軽便線が犬飼まで開通、犬飼軽便線はのちに豊肥本線となる。
1915年10月30日に大湯鉄道によって大分市から小野屋までが開業した。
1922年12月1日には大湯鉄道が国有化され、大分市駅は大分駅に統合された。
大湯鉄道の路線は大湯線となり、その後も天ケ瀬まで延伸、
1934年11月15日に久大線に編入、1937年6月27日に久大本線となる。
2008年8月24日に豊肥本線と久大本線の高架ホームが完成、
2012年3月17日には日豊本線も高架化し、全ホームが高架化された。


画像 dd02685
撮影時刻 2004/05/23 16:22:43

JR大分駅北口旧駅舎。
地上ホーム時代の駅舎である。


画像 dd02685
撮影時刻 2004/05/23 16:22:43
JR大分駅南口旧駅舎。
現在は高架化工事のために取り壊されてしまった。


画像 dd02673
撮影時刻 2004/05/23 15:33:30




REI RINGONO Station
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2010-2019