614.JR宗谷本線稚内駅



JR稚内駅は単式1面1線の地上ホームを有する宗谷本線の終着駅であると共に、日本最北端の駅でもある。
かつては島式1面2線のホームを有し、また側線も存在していて、
1番線は単頭式になっていて駅舎から跨線橋や構内踏切を渡らずにホームに行けるようになっていた。
現在は単線化され、南稚内から一閉塞となり、1本の列車しか進入できないようになっている。
駅前の再開発に伴って駅舎も新造される予定になっており、画像の駅舎も解体され、
2011年7月頃に新駅舎が開業、駅ビルも設置される予定になっている。
島式ホーム時代には1番線が単頭式、2番線と側線がホームの先まで線路が延び、
2本の線路の先に車止めがあり、その先にある「最北端の線路」の看板が設置されている。
現在は稚内のホーム北端で線路が切れているが、戦前は樺太(現・ロシア領サハリン)まで連絡船が渡航し、
そのために稚内桟橋駅が設置されていた。
稚内に最初に駅が出来たのは1922年11月1日で、現在の南稚内付近に設置された。
1923年5月1日には稚内航路が開設され、1924年11月10日に連絡線待合所が開設され。
最初の稚内は装や線の終着駅として設置されたが、
この宗谷線は現在の宗谷本線とは異なり、廃止された浜頓別経由の天北線が宗谷線として敷設されたものである。
現在の宗谷本線は手塩北線の路線名で1924年6月25日に開業している。
この駅舎は現在の南稚内よりは北に1kmの場所に所在していた。
現在の稚内の駅が開業したのが1928年12月26日で、開業当時は稚内港の駅名となった。
1938年6月30日に駅舎を市街地側に移転、10月1日には稚内桟橋駅が開業した。
この稚内桟橋駅は稚内港駅の構内の仮乗車場扱いとなっていた。
1939年2月1日に駅名を稚内に変更、
太平洋戦争終結後、樺太が日本領でなくなり、そのため稚内航路も1945年8月25日に廃止された。
画像の駅舎が開業したの1965年10月1日である。
駅名の由来はアイヌ語の“ヤム・ワッカ・ナイ”が転訛したもので、「冷たい飲み水の沢」の意である。


画像 dd06291
撮影時刻 2006/07/22 12:28:06

島式時代のJR稚内駅ホームの様子。


画像 dd02840
撮影時刻 2004/07/16 16:59:20
車止めの先にある「最北端の線路」の看板。


画像 dd06286
撮影時刻 2006/07/22 12:05:57




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