672.JR吾妻線万座・鹿沢口駅



JR万座・鹿沢口駅は単式1面1線の高架ホームを有する 吾妻線の駅である。
吾妻線の終着駅は隣の大前駅であるが、特急「草津」を始め、多くの列車が当駅を折り返す。
駅の裏側には大きなバスターミナルがあり、西武高原バスが万座温泉まで約45分で結んでいる。
また鹿沢スノーエリア、鹿沢温泉までタクシーで約30分の距離にあって、二つの温泉地への乗換駅になっている。
吾妻線はもともと長野原から太子まで延びる長野原線として戦時中の1945年1月2日に貨物路線として開業した。
太子では鉄鉱石が産出され、戦闘機や鉄砲の弾など、軍事物資の製造に必要な鉄鉱石を輸送することが欠かせなかったため、
戦局が厳しい時期にもかかわらず、最優先で路線が敷設された。
1945年8月5日には長野上までの旅客営業を開始、1946年4月20日に長野原まで旅客延伸された。
1954年6月21日に大師までの旅客営業が開始され、全線で旅客営業が開始された。
長野原から大前までの延伸工事が1963年に開始され、1971年3月7日に開業した。
同年5月1日には長野原から太子までが廃止されたが、実際には1970年11月1日に休止され、太子駅も休止されていた。
長野原から大前までが開通した1971年3月7日に同時に万座・鹿沢口が開業した。
この時、長野原線の渋川から太子までを渋川から長野原、長野原から太子に分け、
渋川から太子までと新設された長野原から大前までを吾妻線とし、長野原から太子までを太子支線とした。
開業にあたって乗換駅として利用されることとなる万座温泉と鹿沢温泉が駅名巡って対立し、
折衷案として二つの温泉名を併記し、中黒「・」で区切るという方法で解決した。
高架ホームから見えるところに「中居重兵衛之妃」がある。
中居屋重兵衛は1820年(文政3年)に生まれた江戸時代の豪商、蘭学者であり、火薬の研究者としても知られる。
中居屋は屋号で本名は黒岩撰之助で、上野国吾妻郡中居村で生まれた。
江戸に出て和泉屋善兵衛の元で火薬の研究に没頭し、蘭学者川本幸民とともにシーボルトに師事する。
1855年(安政2年)には火薬の専門書「砲薬新書」を出版し、日本の火薬研究をリードした。
また横浜で外国商人と上州生糸の貿易を半ば独占して莫大な利益を上げた。
水戸藩と通じており、当時の大老井伊直弼と対立していて、1861年(文久元年)に突如として姿を消した。


画像 dd03345
撮影時刻 2004/10/07 11:35:45

ホームから見える中居重兵衛之碑。


画像 dd03348
撮影時刻 2004/10/07 11:46:21




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