684.南海電鉄天下茶屋駅



南海電鉄天下茶屋駅は単式ホーム2面2線と島式ホーム1面2線の計2面3線の高架ホームを有する南海本線の駅である。
単式ホームの間に島式ホームがあり、相対式ホームの間に島式ホームが挟まれているとも云える。
路線所属は南海本線だが、南海高野線も全列車が停車し、実質的な分岐駅となっている。
南海高野線は汐見橋から極楽橋を結ぶ路線で、難波から和歌山市を結ぶ南海本線とは岸里玉出で交差するが、
運行上は汐見橋から岸里玉出と岸里玉出から極楽橋までは分離されており、実質的に直通列車はない。
難波から岸里玉出までは南海本線に乗り入れて直通運転されており、
岸里玉出のひとつ前の天下茶屋で南海本線と南海高野線は分岐し、難波から直通した南海高野線は岸里玉出では汐見橋方面とは直通しない。
1、2番線は高野線、3、4番線は南海本線が使用し、2番線、3番線は同一ホームで高野線上りと南海本線下りの乗り換えが容易となっている。
ホームは3階、改札やコンコースは2階になっており、1階部分は東西の通り抜けが可能になっているほか、
接続する大阪市営地下鉄堺筋線の乗り換え口ともなっている。
1885年12月29日に南海電鉄の前身である阪堺鉄道が難波から大和川(仮駅、現廃止)間に線路を敷設したのと同時に開業した。
阪堺鉄道はその名の通り大阪の難波から堺を目指して敷設されていったが、大和川の橋脚工事に難儀したことから大和川に仮駅が設置されていた。
1888年5月15日には堺の吾妻橋まで全通し、大和川は廃止された。
阪堺鉄道の首脳陣は現在の泉佐野から和歌山までの敷設を目論み、紀泉鉄道を出願、競合する紀阪鉄道と調整の上合併、南陽鉄道となった。
その後、将来的に南海道への敷設を目指し、出願名を南海鉄道に改称、1895年8月25日に会社が設立された。
紀泉鉄道は阪堺鉄道と直通することを前提として設立されていたため、1898年10月1日に阪堺鉄道が南海鉄道の鉄道事業を譲渡され、
同時に社名を南海鉄道に変更するという形で事実上の合併となった。
1900年10月2日には天下茶屋から天王寺を結ぶ南海天王寺支線が開通したが、
天下茶屋から今池町間が1984年11月18日に廃止、今池町から天王寺までは1993年4月1日に廃止された。
戦時中の1944年6月1日には会社合併により近畿日本鉄道の所属となり、1947年6月1日に線路譲渡により南海電鉄の所属となった。


画像 dd03596
撮影時刻 2005/01/22 16:22:17

南海天下茶屋駅西口。


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撮影時刻 2005/01/22 16:23:46




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