707.JR鹿児島本線川内駅



JR川内駅は島式1面2線の地上ホームを有する鹿児島本線の駅であり、肥薩オレンジ鉄道、九州新幹線のホームも有する。
九州新幹線も相対式2面2線の地上ホームを有しており、九州新幹線と鹿児島本線の線路は平行に設置されている。
肥薩オレンジ鉄道は九州新幹線建設に伴い、鹿児島本線の八代−川内間が分離され、第三セクター化されたもので、
鹿児島本線の島式ホームの阿久根方面の北半分を区切り、使用している。
2番線と4番線は線路が繋がっているが、1番線と3番線は線路が分離されており、
直通列車は回送列車も含めてすべて2番線、4番線を通過する。
画像は西口で九州新幹線開業前は単式1面1線と島式1面2線の地上ホームを有し、旧駅舎も西側に設置されていた。
旧駅舎は廃止とともに単式ホームも廃止され、現在の島式ホームのみが残ったという形である。
1914年6月1日川内線川内町−串木野間の開通に伴い、同時に開業した。
川内線は現在の鹿児島本線の一部であり、もともとは現在の肥薩線が鹿児島本線として開業していた。
陸路が選択されたのは海から艦隊によって攻撃されないようにという、軍事的事情があったといわれている。
短絡線として川内線が建設され、部分開業したのだ。
開業当時は「川内町」という駅名で開業した。
ちなみに「川内町」は「せんだいまち」と読む。
1922年には西方から川内町間が開通、1924年10月20日には宮之城線川内町−樋脇間が開通した。
1940年10月1日に「川内」に改名した。
1927年10月27日には川内線が全通し、旧鹿児島本線の八代から吉松を経由して鹿児島に至る路線を肥薩線として分離、
川内線を鹿児島本線に組み入れることになった。
1987年1月10日には宮之城線が廃止、2004年3月13日の九州新幹線鹿児島ルート部分開業に伴い、
八代−川内間が肥薩オレンジ鉄道として分離、転換された。
川内駅ではJR九州の在来線3番線、4番線ののホームの奥の一部を区切り、
ここに肥後オレンジ鉄道のホームがあるという形になっており、
JR九州のホームとら肥後オレンジ鉄道のホームの間に駅舎を建て、
ここで改札業務を行っている。
西口には大伴家持の銅像があり、「未来へ語る歴史像」と題が付けられ、
更に以下のように書かれている。

 薩摩守 大伴家持

 碑文

 律令制による中央の政治支配力が強まり、
大宝二年(七〇二)川内の地に、薩摩国府(薩摩国の都)が置かれました。
 そして、天平宝字八年(七六四)、大伴家持が薩摩守(長官)に任命されました。
                               「続日本紀」より)
 大伴家持は「万葉集」を編纂した三十六歌仙の一人です。
また、そのなかに最も多くの歌を残した代表的な歌人で、
次の歌は薩摩守に任命される五年前、七五九年に万葉人として最期に詠んだ歌です。

 新しき 年の始の 初春の
 今日降る雪の いや重け吉事
               (万葉集巻二十 四五一六より。因幡守時代に詠む。)

 大伴家持像は、「従五位上の大伴宿祢家持を薩摩守に任じた。」という
続日本紀(巻第二十五)の記述に基づき、
この地に置かれた薩摩国府のシンボルとして建立されたものです。
この像から川内の歴史が未来に語り継がれていくことを願うものです。
                 平成一六年二月吉日  題字 川内市長 森 卓朗
                            制作 川内市
                         (原型・文化課学芸員 小原 浩)

実際の碑文には振り仮名が振られていた。


画像 dd03772
撮影時刻 2005/03/07 09:38:34

JR川内駅東口。


画像 dd03769
撮影時刻 2005/03/07 09:17:34
JR川内駅全景。


画像 dd03773
撮影時刻 2005/03/07 09:39:22
肥薩オレンジ鉄道川内駅。
在来線3番線4番線を使用する。


画像 dd03775
撮影時刻 2005/03/07 09:57:30




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