806.JR肥薩線吉松駅



JR吉松駅は島式2面4線の地上ホームを有する、
肥薩線の有人駅である。
また吉松から都城までを結ぶ吉都線の起点駅でもある。
駅舎に接した単式ホームもあるが、
既に線路は撤去されていて使用されていない。
また4番線は現在乗降には使われず、
留置線として使用されている。
発車番線は固定されておらず、
肥薩線上下線、吉都線が1番線から3番線で使用される。
肥薩線と吉都線はかつては鹿児島本線と日豊本線であり、
主要ターミナル駅として栄えていた。
そのことを示すように駅前には、
蒸気機関車C55型52号機が静態保存されている。
1903年9月5日に鹿児島線が、
横川(現・大隅横川)から延伸して終着駅として開業した。
1909年11月21日には松吉から人吉までが開業し、
現在の肥薩線が全通、この区間が当時の鹿児島本線となった。
1912年10月1日には宮崎線が小林町(現・小林)から延伸してきて接続する。
宮崎線は当時の鹿児島本線であった松吉と宮崎とを結ぶ路線として、
宮崎県営鉄道によって敷設され、
917年9月21日に国有化され、
吉松から宮崎を経て広瀬(現・佐土原)に至る路線が宮崎本線となる。
宮崎本線はそののち1923年12月15日に、
小倉から吉松までが日豊本線となったためにその一部として吸収された。
1927年10月27日に鹿児島本線の海線が全通、
八代から吉松を経て隼人までが肥薩線として分離された。
また1932年12月6日には松吉から都城までが、
日豊本線から分離され、吉都線となった。
駅の外には近代化産業遺産の「石倉」があり、
そこには以下のように書かれた説明板がある。

    近代化産業遺産【石倉】

  吉松駅は、明治36年9月鹿児島〜吉松間が改札し、
 42年人吉〜吉松間が開通、大正元年吉松〜小林間、
 大正5年宮崎〜吉松間が開通し、鹿児島本線、
 日豊本線の2大幹線の分岐点として、
 多くの乗降客、農林産物等の集約駅として
 鉄道の要衝を担った歴史があります。
  また、最盛期の頃には、機関区、
 保線区など多くの部署が管轄され、
 600人を数える従業員とともに
 “鉄道のまち”として栄えました。
  現在、その面影は少なくなりましたが、平成21年に、
 石倉(燃料庫)が近代化産業遺産に認定されました。
  この燃料庫は、明治36年(1903)に、
 粟野〜吉松間が開通した当時に作られた施設であり、
 鉄道施設に関連したものとしては、
 現在最古級の石造遺産のひとつとして数えられます。
  また、吉松駅向かって左側に建てられてある
 「肥薩鉄道開通記念碑」は、
 明治42年(1909)肥薩線全線開通を
 記念して建てられたもので、
 平成21年(2009)をもって100年を経過し、
 その歴史を物語っています。


画像 dd05707
撮影時刻 2006/05/13 11:53:10

JR吉松駅前に静態保存されているSL。
蒸気機関車C55型52号機。


画像 dd05706
撮影時刻 2006/05/13 11:47:56
近代化産業遺産【石倉】。


画像 dd20798
撮影日時 2014/12/12 13:38:23




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