942.東急電鉄田園調布駅



東急電鉄田園調布駅は島式2面4線の地下ホームを有する東急東横線の駅である。
また目黒線の線路名称上の終着駅ともなっているが、運用上は日吉まで運行されている。
2番線は東横線下り、2番線は目黒線下り、3番線は目黒線上り、4番線は東横線上りが使用する。
1923年3月11日に目黒蒲田電鉄によって目黒から丸子(現・沼部)までが敷設された時に同時に開業した。
開業当時は当時の所在地名“荏原郡調布村大字上沼部字旭野”の“調布”の駅名だった。
“調布”とは古来、朝廷に租税の一種である「調」を納めさせた場所であることに由来するという。
「調」は「みつぎ」と読み、律令制度の下で絹、布、糸を諸国から納めさせた。
この付近では実業家の渋沢栄一氏らが理想的な住宅街を開発しようと田園都市株式会社を発足、
田園都市に合わせて1926年1月1日に駅名を“田園調布”に改称された。
1994年11月27日に目蒲線(下・目黒線)ホームが地下化され、
1995年6月には東横線下り、同年12月には上り線を地下化した。
地上時代の駅舎は1990年9月4日に使用停止、解体されたが、
この地域の象徴的な存在として2000年1月15日に復元された。
旧駅舎の前にある「田園調布の由来」には以下のように書かれている。

   田園調布の由来

  この広場を中心とする凡そ八十万平方米の地域は、明治文化の先党者渋沢栄一翁が、
 我国将来の国民生活の改善のために、当時漸く英米に現れ始めた「田園都市」に着目して、
 都会と田園との長所を兼ねた模範的住宅地を実現させようと念願して、
 既にあらゆる公的関係から退かれた後であるにも拘わらず、
 自ら老躯を運んで祝しく土地を選定されたところであります。

  その目的の為に大正七年田園都市株式会社が創設されて、
 翁の理想に共感する人々に土地の分譲を行ない、我が国最初の近代的大計画都市が実現しました。
 そして居住者による社団法人が生まれました。

  この都市全体を一つの公園のように明るく美しいものにする為、
 建築その他に関し色々な申し合せを固く守り殊に道路との境界には一切土塀板塀など設けず、
 花垣か生け垣の低いもの程度とすることなどを、厳格に実行しました。
 その協力の結果、この明るい住宅地と美しい散策地が生まれたのであります。
 
  大正十一年には同社の姉妹会社として目黒蒲田電鉄が創立され、
 大正十二年三月、当時荏原郡調布村であった当地に調布という駅が設けられ、
 間もなく、田園調布という駅名に改められました。
 その後この地区が東京市に編入された際、町名改正が行われて、
 当都市のみならず、周辺の町村をもひろく含めて田園調布と呼ぶことになりました。
 その折当会の地域は当初の田園調布の三分の二となり、
 他の三分の一は世田谷区玉川田園調布となりました。

  ここに明るく住む方々も、ここを来しく訪れる方々も、
 渋沢翁の理想が永く栄えてゆくように、
 この田園調布を愛護して下さるようにお願い致します。
                                 昭和三十四年秋
                                           社団法人 田園調布会


画像 dd08461
撮影時刻 2007/06/16 14:41:44

地上駅だった時代の駅舎。
地下化された後に復元保存されている。


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撮影時刻 2007/06/16 14:39:20
旧駅舎の前にある「田園調布の由来」。


画像 dd08460
撮影時刻 2007/06/16 14:39:40




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